子供が欲しいと思えない女

チャイルドフリー(childfree)という思想について

理解者のいない(少ない)女社会

自己紹介

こんにちは、にんです。

前回は筆者が「あ、私子供欲しくないんだ…」と初めて認識した時についてお話ししました。

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その後も、女性だからというだけで
様々な婦人系の話題にちくちくとトゲを刺されて生きてきました。

「私は産まない」「私には私の生き方がある」
と初めから割り切れていたら楽だったのでしょうが、私にはそれができませんでした。

高校・大学生活

さて、私自身女子中高出身で、かつ、大学も9割が女性という学部を卒業しました。
女性同士が集まると、自然とそういう(恋愛・結婚・出産など)話題に発展しやすいですし、若かったので食い気味に理想を語る友人が多かったことも確かです。
もちろん恋愛の話は好きでしていましたが…笑

これまでたくさんの女性に囲まれて生きてきたので、
一人や二人私と同じ考えの人がいてもおかしくはありませんでした。
けれど、不思議なことに本当の意味での理解者は未だ見つけられていない気がします。

実はたった一人だけ、子供はいらないと心に決めている大学の友人(同性)がいます。
その友人も子供が欲しくないという点では私と考えが似ているのですが、
決定的な違いは「欲しくない理由」を明確に認識していることでした。

デリケートな話なので、詳しくはお話しできませんが
友人は自分に酷いコンプレックスがあり、
その遺伝子を残したくないという絶対的な意志を持っていました。

そうか、そういう「欲しくない理由」もあるのかと納得するとともに、
私にはどんな理由があって「欲しくない」と感じているのかを
具体的に考えるきっかけにもなりました。


なぜ子供が欲しくないと思ったのか、その理由は?

欲しくない理由を挙げてしまえば、後付けでたくさん出てきてしまうと思うので
「子供を欲しくない」と最初に気がついた時、
つまり最も純粋に「みんなはなんで子供ほしいの?」と疑問をもっていた時の私の言動を振り返ってみました。

保健体育の座学では出産について一定期間学ぶ事が決まっており、授業を重ねる中で友人たちと会話していたことです。

「子供嫌いだし、いらないやー」
「え、みんななんで子供欲しいと思えるの…?全然理解できん…」
「なんで女だけ痛い思いして産まなきゃいけないの?」
「私にもし子供が居たとしたら面倒みないと思うから誰か引き取ってくれ…」

上の3つはともかく、最後のは最低な発言ですよね。
「子供を産む=育てる責任がある」ことが大前提であるとしても
自分は欲しくないのだと周囲に伝えるための暴言でした。

お察しのとおり、言っていいことと悪いことの区別すらついていない高校生だったのですが、
当時の気持ちを分析してみると以下のような「欲しくない理由」が隠れていたのではないかと推測できます。

・子供がそもそも好きじゃない
・子供が欲しいという他者の気持ちを否定して、反対意見を躍起になって述べている(思考停止)
・痛い思いをして出産したくない
・と同時に、日本社会における男女の不平等に納得していない
・子育てをする自信がない

ここまで否定しなくても…と思いますが、
高校当時から大学を卒業し、社会人2年目くらいまではおそらく心の中に
上記のような考えがずっとあったのだと思います。


考えを固執させてしまった原因は?

こういった偏った考えになってしまった最も大きな理由としては
自己肯定感が低いことがあげられます。

というのも、

帰国子女だった私は小学校では日本語についていけず、
中高は私立一貫の進学校ゆえに、勉強についていけないグループにいました。
英語しか取り柄のない人。それも姉には遠く及ばず、落ちこぼれであるという劣等感が常に付き纏っていました。

本気で勉強をしても高得点を取れなかった時が怖くて、やればできるからまだいいやと逃げ腰のまま受験期を迎えました。

結果、努力しなかったので第一志望に敗れ、私立大学に進学しました。

「自分の状況を受け入れる」「どこが悪いのか分析する」「そして改善する」というプロセスを踏まないまま大学生活・社会人生活をなんとなく過ごしてしまったために
自己肯定感は一切育たず、自分だけならまだしも、他人に対しても否定的で卑屈な人間になっていきました。

考え方に流動性がなく意固地だったことから、攻撃的な意見を言ってしまう場面も多々あり、
大切な友人と疎遠になってしまったこともありました…。
今は申し訳なさと情けなさでいっぱいです。

自己・他人否定のスパイラルからどうやって抜け出せたのか?

社会人2年目に現在の夫と出会いました。
最初は全然違う考えを持っている私たちでした。

前述の通り、私はかなり極端な思考をもっていたのですが、
何を言われてもされても、夫はいつも辛抱強くそこに居てくれました。
私を理解しようと努めてくれたのです。
(今思えば、変な思考を持っていたから純粋に面白かったのかも?笑)

時には意見をぶつけ合い、時には認め合うことで、
相手の考えを受け入れた上で、自分の中で消化するということの大切さを教えてくれました。
私が私であることを認めてくれた他人は夫が初めてで、
こんなに嬉しかったことはありません。

結婚についても、
私はずっとしないんだろうな(できないだろうな)と思い込んでいたのですが、
幸いにも夫と一緒になることができました。

自己否定ばかりしていた私を救ってくれた夫にはとても感謝しています。

夫と時を過ごす中で、様々な感情が変化していくのを感じていて、
子供に対する心境もあの頃よりは少し変わってきているように思います。

今でも、子供が欲しくない理由はあるのか?

もう一度高校時代の子供を持つ事に対する否定的な感情を思い返してみます。
今でも当てはまるものもあれば、気持ちが変化・具体化しているものもありました。

・子供がそもそも好きじゃない

BEFORE: 同じ空間に子供がいればその時点で完全に視界からシャットアウトし、なるべく関わらないように場所を移動していた。
NOW:電車で子供と鉢合わせても、少し距離のあるところから観察できるようになった。じっと見つめられれば、手を振り返す事もできるように。
観察していくことでわかったのは、やっぱり私自身子供が苦手だと言う事。
中でも予測できない行動・動きや発言を受け入れることができないようです。細かいことで言うと、口に手を持っていったりしているのを見ると不衛生だと感じてしまいます。
コントロールできないものや事柄に対して、私はものすごくストレスを感じるということがわかってきました。

・子供が欲しいという他者の気持ちを否定して、反対意見を躍起になって述べている(思考停止)

NOW:その人がどうして子供が欲しいという考え方なのか、その理由を純粋に知りたくなった。理由なく欲しいという声も興味深く聞けるようになった。

・痛い思いをして出産したくない

NOW:痛いだけじゃなく、命をかける行為だという意識が強くなると同時に、自分の命をかけてまでやりたいことじゃないと思うようになった。
子供をもつか、生涯を通して自分らしく生きるか、を天秤にかけた場合、現時点では後者を選びたい。

・と同時に、日本社会における男女の不平等に納得していない

NOW:これは今でもその通りで、女性だけが個人としての尊厳を社会から認められにくい状況が続いているように思う。仕事を続けたい人にとっては、ほとんどの企業でキャリアアップへの弊害になってしまう。反対に子育てに専念したい人にとっても、生活や教育が向上するような社会制度になっていない。

・子育てをする自信がない

NOW:どういう時に自信がなく不安になるのかを考えてみることにした。
自分の母親がかなりのスーパー主婦であったことから、自分も同じようにしてあげたいのにできないだろうという恐怖がある。自分が感情的に怒ってしまう性質を持っていてアンガーコントロールができていないこと。自分が親にしてもらったように、不自由のない暮らしをさせてあげる自信・強い気持ちが今はないこと。などが思い浮かんだ。
要するに、自分がかなり恵まれた環境で育ってきたこともあり、
親にしてもらったこと、もしくは、してもらった以上のことを子供にしてあげられる自信が持てないというのが根本にありました。

こうやって具体的に見ていくと、子供が欲しくない理由はちゃんとありました。
ただし、複雑に絡み合った感情の中でやっぱり欲しくないなーと思ってしまったのも事実です。
もしかしたら他にも理由があるのかもしれません。

次回は今あげられている理由を仮に全て取り去ってみた場合、
子供が欲しいと思えるのか、それとも、思えないのかを考えていきたいと思います。

そうすることで、今挙げられている理由が
要となっている部分なのかどうかが解読できるようになるのではないでしょうか。

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それでは、乱文となってしまいましたが、
次回「子供が欲しくない理由を説明できる?」
を執筆予定です。

コメント等いつでも受け付けております。
最後に、ここまで読んでくださりありがとうございました。

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高校時代から子供を欲しいと思えない自分

自己紹介

こんにちは、にんと申します。

筆者について軽く自己紹介させてください。
現在は、夫と二人暮らしの28歳で、フリーランスとして働いています。
子供が欲しいと思ったことがなく、今でも思えずにいます。
夫と結婚したことで子供をめぐる問題に直面し、日々苦悩しながら自分の深層に眠る感情を紐解いていこうと思っています。

このブログの意義については詳しくはこちらをご覧ください。

childfree.hatenadiary.jp


 

将来的に子供が欲しくないと気づいた時

皆さんが将来的に子供が欲しい、もしくは、欲しくないと明確に感じたのはいつですか?

私がはっきりと子供は欲しくないと心に止めたのは、高校1年生の頃だったと記憶しています。
(既に小学生の頃には漠然とそう感じていたような気もしますが…)

 

それでは、高校時代に遡ってお話しさせてください。

中高一貫の女子校に通っていた私たち生徒は、
女性の社会的地位が低い現状を知った上で、それでも女性は自立し社会に貢献できるのだという精神を根強く教育されました。
事実、向学心・向上心を持った学友ばかりで、とても居心地の良い環境でした。

女性だからと言って決められた枠にはまる必要は無く、
自分の頑張り次第でどんなことにでも挑戦できることに気づかせてくれた、
本当に素晴らしい学校だと感じています。


そんな大好きな学校だったのですが、
1つだけ心に残る(悪い意味で)出来事がありました。

それは、女性の出産と命の大切さについて学ぶ授業でのことです。
授業はこう始まります。

「皆さんはいつか出産する時が来るかもしれません。その時に備えーーー」

高校生の私はこの一言で酷く不快な気持ちになったことを覚えています。

さて、皆さんは何か違和感を感じましたか?

今思い返してみれば、教師は何もおかしな事を言っていたわけではありません。
ただ、「産む選択だけ」を強く勧められたことで私の心が混乱してしまったのです。

この時初めて、子供を欲しくないと思っている自分に気づかされました。
そしてそれは息を吸うかのごとく、至極自然な感情であることにも。

授業が進むにつれ、「産み方」のオプションを紹介されましたが、
「産まない選択」については最後まで触れられることはありませんでした。

考えてみれば学校なのだから、生徒に「if」の解決法を提示するのは普通のことです。
例えば、生徒が「英語は将来絶対に使わない」と宣言したとして、「じゃあ国語だけでいいよ」とはならず、「英語も使うかもしれないから勉強しなさい」となりますよね。

だから、あの授業をしてくれた先生やその教育方針を打ち出した学校を悪いとは思いません。

「皆さんはいつか出産すると思いますがーーー」と決めつけられたわけでもありませんし。

ただ、いろんな選択肢を与えてくれるあの学校のあの授業だけ、
もう一つ「if not」の選択肢について言及してくれなかったことがショックでなりません。

授業の冒頭にたった1フレーズでいいから足してくれていたらと思うことがあります。

「皆さんはいつか出産する時が来るかもしれませんし、しない選択をする人もいるかもしれませんーーーそれでも知っておいた方が良いお話をします」

もしもそうだったならば、ほんの少しだけ心に余裕が生まれていたのかもしれません。

しかし、この授業の不快感を筆頭に、出産という神秘的な行いに対して倒錯的な思考を持ったまま、筆者は高校生活を送ることになってしまいます。

 

 

ーーー次回ーーー

「理解者のいない女社会」

についてお話ししていければと思います。